オリンピックにおけるIT技術者ボランティアの件について書いてみる
この話はなぜここまで炎上してしまったのか。
もともとは CEATEC JAPAN 2015で開催されたパネルディスカッションの内容が発端だ。
元記事
その後出たフォロー記事
これらの記事に出てくる一般社団法人コンピュータソフトウェア協会(CSAJ)会長の荻原氏の発言内容が物議をかもしている。
要約すると、
- 新しい団体を作った
- IT業界にはすでにたくさんの業界団体がある
- IT業界はひとつになって国に対して働きかけるべきだ
- 活動のひとつとしてIT教育の拡充がある
- 2020年までにセキュリティ技術者が4万人必要
- 国の費用でIT教育を拡充させる見返りとしてボランティアでオリンピックのサイバーディフェンスをやろう
ということのようだ。
他にもフォロー記事で発言しておりそれがまた炎上に燃料を投下するのであるが、それについては後述する。
まず、基本的な前提認識として、「使い物になるIT技術者は簡単に増やせない」という現実がある。
この話ではセキュリティ技術者の不足が取りざたされている。セキュリティ技術者は比較的育成が難しい職種で、これからセキュリティ技術を学ぼうとする人間が実践的な学習環境を用意するのが難しい。そのため、国の支援を、ということではないかと思われる。
しかし、この計画にも突っ込みどころがたくさんある。あと4年しかない状態で、使い物になる4万人の技術者育成はおそらく相当難しい。資格試験の合格を目指すのならともかく、サイバー戦争を引き合いに出して議論するほどのレベルにすることはおそらく不可能だ。スケジュール、目標ともに現実離れしていると感じる。
サイバー戦争がどのように行われるかということは実体験を持ち合わせているわけではないが、現実の兵器に使われているIT技術や軍事知識については井上孝司氏の連載に詳しい。
私の感想だが、とてもボランティアでできるようなレベルではないだろうと思う。セキュリティというものは普段の積み重ねによって整備する部分が大きい。1ヶ月間大量に人を動員したからといってどうにかなるほど生易しい業界ではないだろう。
また、ボランティア(無償)というお金の部分についても問題がある。セキュリティ担当者に十分な報酬を払わないとどうなるかを端的に示した例が先日のベネッセ事件だ。サイバー戦争、国防というキーワードに対して恩返し、ボランティアといった単語を対応させることが、まったく現実を無視しているように思われるのだ。
業界を代表して何らかの提言をしようとする氏の立場に於いて、大変残念な発言であると思う。
ボランティアに関する言及にはInterop Tokyoとの比較が登場する。
Interopはもともと技術者の自発的行動が元になり、技術者同士楽しくワイワイやっているところに、協力者が続々と出てきたことが今日の成功につながっている。他人から押し付けられたものではないし、教育機会の提供から始まっているものではない。
「東京五輪に向けて、エンジニアがボランティアで参加するという取り組みについても、同様の成果を期待できるのではないだろうか。」
とする氏の認識は誤りである。
また、IT業界の労働環境についての氏の見識も耳を疑うものだ。
――ソフトウェア産業そのものが“ブラック化”しているという指摘もある。短期間とはいえ、ボランティアとして働かせることは、それを助長することにつながるのではないか。
そうは思わない。ブラック化といわれる背景にはいくつかの理由がある。そのひとつは、ブラック業界であるという印象を持たせる動きがあることだ。
――エンジニアの労働条件を高めるためには、労働組合という手法もあるのではないか。
エンジニアは力を持った人材のことを指す。どんな企業に行っても活躍できる技量を持っているはずだ。そうした業界で労働組合の存在はあわない。
一蹴である。
労働者の利益を考えているならここはもう少しきちんと説明するべきではないか。
国から金をもらいやすくするのではなく、経済活動によって自立しなければその業界に未来はない。IT業界は自ら稼ぐ手段を持っているのだから、どうすればそれをもっと発展させられるかを考える立場の人間がきちんと説明しないのはまずい。
経営者と技術者
ここまで、氏の発言について個人的な感想を書き綴ったが、
一介の技術者であり、規模は小さいが経営者でもある私には思うところがある。
- IT技術は、買う側がその価値を理解できないことが原因で、うまく金に換えられないことがある
- 現在のIT業界の多重下請け構造には、知名度や単純な価格で購入を決める買い手側の不見識、無理解にも一因がある
- そんな中、適切なレベルで世間の需給を満たすことは非常に難しい
- 現実的な解を考えたとき、少しでも現状をマシにするためには何らかのキャンペーンやイベントを張り、広報活動を通じて啓蒙、話題づくりを行う必要がある
と、氏はこんなふうに考えたのではないか。
炎上商売だと斬って捨てるのは簡単だが、私は今回の件を通じて、IT業界には技術者(労働者)と経営者の間に深い溝があるように感じた。
現実問題として技術だけでは金にはならない。多くの技術者は技術を金に換える手段を持っていないのだ。一方、IT企業の経営者は技術を金に換える仕組みを作ることが仕事だ。経営に関して考えなければならない課題は多く、単純に売り上げイコール技術の値段とはならない。そのあたりについて、経営者は技術者によく説明するべきだ。また、経営者も技術者へのリスペクトを忘れてはならないだろう。技術者と経営者はきちんと相互理解を深めるべきであるというのが私の考えだ。
説明を省略することは相手へのリスペクトを欠いた行為であり、両者の溝を深めるばかりだと思うのだ。